コロンビア紀行おっちゃんレポート

(おっちゃんレポート1)

未だに誘拐された人が3000人以上も行方不明という、テロと麻薬の政情不安の国でしたが、本当に楽しい、有意義な訪問でした。我々はホテルを出てから帰るまで、どんなに遅くなっても警察が護衛してくれました。特にカルロスというイケメンの警察官が、英語が少し出来たので助かりました。今後、思い出すままにレポートを書いていきますので、時々見に来てください。今回、ヨーヨーの世界チャンピオンの長谷川君と同行したのですが、彼の語学力と人柄と、積極性にこの旅行の楽しさを倍増してくれました。その彼が、さっそくビデオを編集して送ってくれました。掲示板にもリンクされていますが、ここからもリンクします 
コロンビアの独楽名人の技こまつくりの模様。このとき作った独楽はおばちゃんの手に渡されています。

(おっちゃんレポート2)

25年目を迎えるこの大会を提唱したウンベルト・ゴメスさんは、「むかし遊び(コロンビアでは「路上遊び」といっている)」昔遊びをしなくなったことを憂いて、「子どもに戻ろう」をスローガンに始めたそうです。おっちゃんと同じ考えだったのに感激しました。日本より文化的には10年は遅れていると思うのですが、すでに25年前には衰退し始めていたとは驚きです。遊びも日本と同じようなものが多く、人の考えることは世界中同じだということを確信しました。今回大会で行われた種目は、「こま」「棒のぼり」「けん玉」「ジャックス(日本のお手玉)」「竹馬」「むかで競争」「手作りゴーカート」「びー玉」等です。写真は後日アップします。優勝者にはこま作りのおじさん製作のトロフィーが授与されました。しかしながら2位はないのです。勝者と敗者がはっきりさせるのです。

(おっちゃんレポート3)

こまの競技は「技のすごさ」と「けんかごま」のように地面の的を、交互にこまで打ちつけて飛ばし、サッカーのように相手陣地に入れあいする競技の2種目です。こまの技に関しては後日詳しく紹介します。  

(おっちゃんレポート4) 7/6up

おっちゃんたちが訪問した、路上遊び大会の町はカルダス市といい、コロンビア第2の都市メデジン市から車で1時間弱の所にある町です。レンガ造りの家が多く、日本では昭和30年代の感じの町です。時期的なこともあったのでしょうが、路上では多くの子どもたちが思い思いに伝承遊びをして遊んでいました。コロンビアでは町を造るのは、まず広場前に教会を建て、、その周囲に役場や町の公共施設を造り、民家が出来ていくのです。その広場は屋台も出て、市民の憩いの場でもあり、休日はもちろんのこと、平日でも多くの人が集まっています。その広場と周囲の道路が大会の会場です。延べ25000人が参加する大会です。標高1000メートル程の町で、通常なら常春の気候なのですが、雨季が少しずれ込み、時々スコールがやってきます。それでも子どもたちの熱気はすごく、 どしゃぶりの雨の中で大会を続けていました。本戦は2日間なのですが、他の都市から来た人は当日受付で競技に参加できるのですが、カルダスの人たちは予選があるので、滞在中は多くの子どもの遊ぶ姿をを公園の周りで見ることが出来、触れ合うことも出来ました。

(おっちゃんレポート5) 7/6up

おっちゃん達は保安上、メデジン市のホテルに泊まったのですが、町は近代的で、日本も負けているのではないかと思われるぐらいで、町並みもファッションもかなり先端を行っていました。毎日、ホテルからカルダスへ送り迎えをしてくれたのは、ヤマハのオートバイのコロンビアの社員でエドガルさん。彼の車は防弾ガラス入りの日本車でした。さすが日本の製品を売っている企業の社員さん、サービスかもしれませんが 日本の歌謡曲のカセットをずっと流してくれていました。公演箇所が多くてなかなか自由時間はありませんでしたが、それでも空きの時間には、町の公会堂やスポーツ施設につれって行ってくれました。やはり子どもたちはサッカーに夢中で、さすが南米です。女性教育長さんが自分の娘さんたちが参加する民俗音楽の練習場へ連れて行ってくれ、そこでクンビアという踊りを教えてくれ、踊りまくりました。テンポの速いリズムの音楽で、ゆっくり目の民俗音楽は山岳地方の音楽でバンブーコというそうです。教育長さんは夜、観光に行く前、週末 には親戚家族が集まる両親の家に招待してくれ、そこでもファミリーバンドの演奏会でした。観光にいった場所は市内の貯水槽を兼ねた高台の丘の上で町の夜景が一望でき、市民の憩いの場で多くの人が訪れていました。 いろんなお店がありましたが、驚いたのは道端に体重計をおいて、測定してお金をもらう人がいました。乗る人がいるのでしょうか?そういえばTVのコマーシャルはダイエットが多かったです


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