おっちゃんの寝言 

も く じ


その1 はじめに

              「力をかして」

              「子どもたちの心を病気にしたのは・・・」

              「おっちゃんは生きているのが楽しくてしょうがないんヤ」

              「やりたいと思ったことは、やってみる」

              「努力・根性・忍耐はキレル子どもをつくるゼ」 

              「他人のせいにしたら くるしいで」

              「こんな世の中でも けっこう楽しいもんや」 

              「思いどおりにならへんから 世の中 オモロイねんで」 5/1up

              「遊びやったら 伝えられるかなー」 5/1up

 

                     

その2 インターネットに思うこと

その3 ベーブレードに思うこと

 

 

その1 はじめに


「力をかして」

 おっちゃんたち、団塊の世代の人たちは国や社会が豊かになるようにがんばってきましたが、負の遺産も創り出してしまいました。
 そのために、現代の大人も子供も、生活や心に余裕がなく、本来、誰もが持っているやさしさや勇気や誠実さを出しそびれているようです。
 一方、現場では「生涯学習」「週休二日制」「子育て支援」等、考えも新たに歩み始めています。
 おっちゃんが伝えようとしている、100種以上にも及ぶ「投げごま」の技の多くは、現代の子供たちが考え出したものです。 みんな能力と素質を持っています。ところが現状では多くの場合、そのチャンスを与える機会が少ないようです。そのような環境を与えていない我々、大人の責任だと感じ、「伝承あそび(昔あそび)」を通じて子供たちの能力が引き出すことができる「遊び場を!!」との想いで開館しました。
 同じ想いの全国の人たち、たくましい、心の病まない子供たちを社会に送り出すために力を貸してください。


「子どもたちの心を病気にしたのは・・・・」

 おっちゃんは教育の専門家でもなく、児童心理学や教育論を勉強したわけでもないので、体験で感じたことをしゃべりたいと思います。                       大小の差はあれ、今子どもたちの心は(実は大人も)病気になっています。 その理由のひとつに、おっちゃん達がつくってしまった、「結果を重視する社会」です。 「一生懸命勉強しても、たまたま試験問題に出なくて、出けへんかったら、ダメな子」の、 結果を追求する社会です。 企業は合理性や経済性を優先し、そのために優秀な(勉強のできる)人材を「試験」という手段で優劣を判断してきました。  そうすることが、生活を安定させ、幸せを勝ちとれると信じ、親はそれを子どもの将来に求めています。

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「おっちゃんは生きているのが楽しくてしょうがないんヤ!」

 当初、サラリーマンやったおっちゃんは、 ただ単に「コマの回し方」や「」を教えようと活動を始めました。 ある時、はじめてコマをまわせた子が「おっちゃん!!回った!!」と、本当にうれしそうに、何度も飛び跳ね、おっちゃんに飛びついてきました。 その時、「そうなんや。技なんかどうでもエエンや!。やってみることなんや!」と、あらためて気づかされました。

おっちゃんは60年近く生きてきて、ほとんど悔いを残したことがありません。 生きていることが楽しくてしかたがありません。それは、両親や、先生や、近所のおっちゃんやおばちゃん達など、 おっちゃんより先に生まれた大人達が、楽しく生きていく方法を、無意識の内に、無言の言葉で、教えてくれたんだと思います。  今になって、整理してみると、たったふたつのことでした。


「やりたいと思ったことは、やってみる」

 そのひとつは「やりたいことは、やってみる」でした。 「あの時、やっとったらよかったのになー」と思うほど、悔いの残ることはありません。 ところが、出来ることに価値を見出す社会は「結果をおそれる」ことを生み出しました。 「失敗したら笑われる、しかられる」と思ってしまうと、一歩ふみ出して、やってみる勇気を阻みます。 (大人の社会もそうです)    例えば、みんなが普通にまわしているコマは、現在、100以上の技ができます。 でも、100の技ができても世の中、渡ってはいけません。 しかし、「やってみようかー」と、一歩踏み出す勇気は生きていく力になると思ってます。 やってみて「案外出来たなー」「おもしろくなかったなー」等、自分で判断し、決定する経験をしていくのだと思いますネン

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努力、根性、忍耐はキレル子どもをつくるゼー
 

[努力]、[根性]、[忍耐]。「なんてエー言葉なんや!!。」 「なんべんも聞かされてきたなー。 しかし、子供達にとっては重荷になってヘンのかなー。 」確かに行動を起こすまではエエ言葉やし、大切なことやけど、実際、行動し始めた時、 「がんばらなアカン」「がまんせなアカン」なんて考えながらやってたら、いつか爆発すんのんとチャウのんかなー。 「キレル」って、こんな状態のことなんやろなー。 もし、子供達が「やってみたいなー」と感じることが出来たら、例えば、コマまわしでゆーたら、ひもを巻いてはくずれ、投げてはコロコロ。涙流しながらも続けてる。 横から見てたら、[努力]、[根性]、[忍耐]をやってるんやけど、本人達はただ「やりたいことをやってる」だけなんやもんね。 流してる涙はくやしさであって、けっして、悲しい涙とはチャウもんネ。 それは「やらされてない」状態なんですよネ。

ある日、公演の打合せである保育園に行った時、園長室から外を見てたら、砂場でひとりの園児が砂遊びをしてました。 その時、担任の保母さんが「○○ちゃん、こっちでみんなと積木遊びをしよう」と呼んだところ、 園児は「積木遊びが終わったら、遊んでー ?」 と。 どんなエーことでも「やらされた」と感じたら、遊びは遊びでなくなっているんやもんねー。 「やらなくてはならないもの」は重荷なんやろねー。 そーなんやったら、「やりたいなー」「知りたいなー」の状態を作ることが、大人の仕事やと思とります。


他人のせいにしない

もうひとつ、まわりの大人に、無意識に教えてもらったことは、 「やった後のことは他人のせいにしない」でした。 学校も企業も失敗がないように、又、はみ出さないようにマニュアルの社会を創りました。 もちろん、マニュアルのエーとこもギョーサンありますけど、 悪いとこは、書いてないことが出てきたら、ドギマギすることと、他人のせいにしてしまうことやと思いますネン。 「そんなこと教えてもらってへん」「そんなこと書いてへん」と。  そして、失敗した時、「あの先生にさえ教えてもらえへんかったら」「あの上司にさえつかへんかったら」なんて考え出すと、 いつまでも腹に残って、いやな思いをひきずってしもーて、悔しくて、夜も寝られへんほど、毎日がオモシローなくなってしまう。 しかし、「あの先生や上司を説得するだけの勉強してへんかった。勇気があらへんかった」と、思うことが出来たら、 そこでいやな思いは断ち切れるので、引きずらなくもすみますもんネ。

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こんな世の中でも けっこう楽しいもんや

たとえば コマまわしで考えると、 幼児期は「出けへんのは自分がやらへんからや」と 認識してくれてます。 自分のせいにしてくれてます。こんなことを幼児期にたくさん経験させてあげたら、 地域社会に巣立った時、「こんな世の中でも、生きてるっていうこは、けっこう楽しいもんや」と感じてくれると信じてますねん。 親が「この学校に行きなさい。この会社に入りなさい」 うまくいけばエエンやけど、 結果がよくなかったとき、「お母ちゃんがここに行けってゆーたやんか」となった時、いちばん不幸なんは、その子自身なんです。

親は自分の育った生活や環境を照らし合わせ、総合的に考えた時、おそらくその選択は正しいと思うんやけど、 子供にとってやらされている状態なんだと思います。 「お母ちゃんの言うこともきいた。先生の言うこともきいた。 でも、決めたんは自分なんや」と、思わせることができればと、思います(実はこれが一番難しいんやけど)。

親も先生も「勉強だけがエエ」とは、だれも思っていないと思います。「もっと、のびのび遊ばせてやりたい」と思ってます。 しかしながら目の前に待ってる社会のしくみ(例えば受験等)のために言わざるをえんのでしょう。親心っていうやつですか。 きっとみんなジレンマなんやと思います。

おっちゃん達が創ってしまった、この変な社会を、次の世代の子供達はきっと変えてくれるでしょうけど、 変えるまでに潰されたんではなんにもなりません。やっぱりたくましい子供をつくらなあきまへんわな-。


思いどおりにならへんから 世の中 オモロイねんで

現代の子ども達の中には、「お母さんや先生は、私達のことをわかってくれない!」「上司は全然、理解してくれない!」と悩んでいるのも、数少なくありません。そのことに悩み、行きつこところは、自暴自棄になったり、キレルという状態になるのかなと思っています。でも、「世の中、出来ないことがあるから、おもしろいねんで」「なんでも簡単にできたらおもしろないし、すぐ飽きてしまうヤン」と考えることができれば、きっと 気持ちが楽になるし、楽しいとおもいます。


あそびやったらつたえられるかなー

おっちゃんは「こままわし」だけでなく「けん玉」や「お手玉」、「竹返し」、「ディアボロ」、「ヨーヨー」、「南京玉すだれ(江戸時代は子どものおもちゃだった)」等、少し練習しないと出来ない、技ものと呼ばれる、伝承遊びを伝えています。考える力や挑戦心や達成感を体験でできると思っています。本当は仕事や、勉強で身につけるのがいいのかもしれないが、結果追求をする社会です。遊びだったら、出来なくってもドーてことないし、できればみんなから「ワー!!」て言ってもらえる。遊びだったら、おっちゃんの想いは伝えられるかなーと思い、サラリーマンをやめて、 14年前、こんなことを始めました。

 

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その2 インターネット

ある時、子どもが「おっちゃん!!べーごまって関東だけやったんしってる?」と、伝えに来ました。「なんで? だれがユー(云う)とったん?」「インターネットで見た」と。      べーごまは関西から始まり、関東に伝わって、最初はぜんぜん流行れへんかったのに、桜バイが出現して、関東に火がついたのに・・・・。   おっちゃんが「お宝なんでも鑑定団」に出演した時も、えらい鑑定人の先生がおんなじことユーてましたワ。(もちろん訂正 してもらいました)

そこで、パソコン買って、ネット上を見てみると、間違いや、調査、確認不足がわりと多いことに気ーつきましてん。大人が恥じかくのんは、その人の責任やから、どーでもえーんやけど、自由研究や宿題をネットで調べるようになった現代、子供達に、「正しい情報を提供せなアカン」と思い、ホームページなんか作る気はなかったんやけど、  硬くなった頭に鞭打ち、パソコンの言葉も覚えられないおっちゃんやけど、がんばってみようと思いました。ちょっと更新するのにも、何日もかかってしまう大仕事やねんけどネ。

インターネットは確かにおもろい。又、便利やわーなー。おっちゃんは30年近く、全国を歩いて、現地の人から情報を得、こまを作っている人に直接会って、こまを集めてきました。そんなことしなくてもエーよーになったんやけれど、間違いかどうか、確認することを覚えないと、大変なことになってしまうでー。

コマぐらいなら、どうでもえーけれど、ネットや書籍、テレビの情報に弱い(正しいと思ってしまう)日本人、知恵より知識を重要視した、日本の受験制度(少し変わりつつはありますが)に馴らされた日本人の多くは、情報に踊らされたり、騙されることになっている現実も、否定出来まへん。メールや掲示板で、質問してくる子どもも多いけど、答えを全部教えるのではなく、調べ方や、「どー思う?」等で返しています。

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その3 ベーブレードに思うこと

第三世代のベーゴマ称してベーブレードと呼ばれる、コマがブレークしています。一時は品薄状態で、親が列に並んで手に入れたり、ネット上ではプレミア価格で売られていま す。

この新しく工夫されたこまは、収集家でもあるおっちゃんにとってはうれしいし、考えた人には敬意を表しています。おかげで「ふつうのこま」もまわそうと思ってくれるきっかけになっています。このベーブレードはシュウーターと呼ばれる ホルダーでコマをつかみ、ワインダーを引くと,幼児でもかんたんに高速回転でまわります。これに攻撃型、守備型等、数多くのパーツを組合せ、勝つためにはお小遣いが必要やねん。回転速度がデジタルで表示されるホルダーは数千円しますねん。(おっちゃんは収集のために買いました)

従来のべーごまはヤスリやコンクリートで削り、ぶれないようにセンターを出したり、低くしたり、角をつけたりして、負けないように工夫をしました。取り合い もしていたんで、 必死になって改造しました。 昔遊びの持つ、賭博性、勝負、技の熟練のおもしろさは、ヨーヨーやメンコ、ディアボロ等が復活しているのをみるとよー分かりますよねー

現代のおもちゃ、えーとこもギョーサンあるけど、伝承遊び(昔遊び)のえーとこは、考える余地を残しているとことチャウかなー。 。ベーブレードはパーツを組み合わせて強いこまを工夫して作る要素も考えられています。ほんでも、たくさんのパーツが買えるやつが強いんのか? となると「やっぱり、それ、チャウでー!!」とも思います

子ども時代に「考える力」を養うよう、大人は考え、配慮したいもんです

 

 

 

 

 

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