独楽に関する質問が多いのでこのコーナーを作りました
知ったかぶりの著者や本、ホームページが多いのでおっちゃんの見方も書きます
もっと、質問してきてね
も く じ
2.たたきごまについて 2007. 6/5更新
お正月近くになるとみんな独楽をまわし始めますね。
でも、どうしてお正月なんだろう? ほかの季節に遊んではだめなの?
こんな疑問をもったことはありませんか
こまは本来、戸外で遊ぶものです。でも、あまり体の温まる遊びではありません。
実は、これは、おもちゃ屋さんの陰謀?(いんぼう)なんです。
ほかの季節は戸外での遊びも多いし、玩具も多いですが、冬に売るものが少なく、
そこで、おもちゃ屋さんは考えました。
「心棒(辛抱)は金(お金)」「一本立ち(一人前になる)」等、縁起的な 感じなので正月にだけ売るようになりました。
(このように期間限定のおもちゃをキワモノ玩具と呼んでいます)
その後、「お正月にはタコ揚げて、こまをまわして遊びましょう」の歌が作られ
新聞やテレビ等が、この時期に多く取り上げ、完全に季節感が出来てしまいました。
子供達は寒くてしょうがないので、手に乗っている時、どれだけ遠くまで行けるか。とか、
乗っている間だけ、追いかけたり、逃げたり出来る「こまオニ(ごっこ)」等の遊びを考え出しました。
いつでも遊べるので、一年中遊んでネ。
こまの原点であるたたきごまは手作りのため、日本各地でさまざまの呼び名がつけられました。
おっちゃんは日本各地の図書館で文献を調べたり、現地のお年寄りに聞いて下記の名前を調べました
30年以上かかりましたが、でも、全部は調べきれません。知っているお年寄りも少なくなってきました
そこで「下に載っているのは私の地域だよ」とか、「私の地域では・・・・・とよんでいました」等、教えてください。
木の材質や、ムチのことや遊び方等も分かったら教えてください。名前も書いてね。
独楽の百科事典を作りたいと思っています。協力者として載せたいと思います。
たたきごまについてはこちらのメールからお願いします。
おっちゃんが調べた地域名も書いてあげたいのですが、最近、ろくに調べもしないで、有名になりたくて
他人が調べたものを、自分が努力したかのようにして、出版する人等もいますので
自分の地域の呼び名など知りたい方は、上記メールや掲示板で聞いてくれれば、メールでお返事します。
下の一覧は「こま」そのものの呼び名の場合もあります
記
今回 追加したもの
いのりごま、うちごま、うっごま、うっちんごま、おーえ・くーる、おじょろごま、からはー、かりっこま、木ごま、
きりきりまー、きんどっこごま、ぎんぼ、ぎんぼー、ぎんだんぼ、くーるー、くーるもーえ、
げんぶ、げんぼー、げんぼちゃ、こば、ごーる、こーるー、こーろー、こま、ごま、こり、ころま、こんま、
さくらごま、じぐり、じくーる、支那ごま、じだらんぼ、じだんぼ、じだらむぼう、
じだんぼう、しっぺごま、しばきごま、しびきごま、しぶきごま、島まわしこ、しゃぎずんぐり、じゃじゃごま
しょんしょん、しわぎごま、しわぎずんぐり、じんぐり、じんだ、じんだー、じんだぐり、、じんだごま、じんだんぼ、
ずぐり、すぐるごーる、すぐいこーる、ずんぐり、ずんぐりこま、ずんだぐり
ずんぼごま、ずんぼうごま、せっこんごま(せきこみごま)、そしばい、
たたきごま、たたきずんぐり、たっつけ、たんべ、だんべごま、ちごまわし、朝鮮ごま、
ちょっぺごま、ちんぼごま、ちんぼっこま、ちんぼっここま、つんぐり、づんだぐり
てぐいま、てーぐるま、でんごへんごま、トゥム、どんぐり、どんぐりごま、どんべ、
なぐりごま、なっしこま、ネンカチ
ばい、ばいごま、ばかごま、はたきごま、はちきんごま、はちごま、はったきごま、
ぱっちんごま、はつりごま、びしごま、びっちょごま、びんば、
ぶいごま、藤ごま、ぶしょうごま、ぶちごま、ぶつくりごま、ぶっくいごま、ぶっくり、ぶっくりごま、ぶっけんごま、
ぶっちんごま、ぶつごま、ぶっごま、ふーるー、ぶんちん、ぶんぶんごま、べーごま、へどごま、べーぼー、ぼろごま
まかごごま、まーしっこ、まーしゅ、まわしこ、むちごま等 120 (2007. 6/5現在調査中)
商品名の場合もあります
おっぱいごま、あおいごま、安達ごま、ひょうたんごま、半鐘ごま、きごろす、
父ごま 母ごま、とがりごま、両ごま、(お)わんごま、大正ごま、道中ごま、きのこごま
みずがめごま、花火ごま、鳴りごま等
現在のところ、日本の文献で、「独楽」と、初めて出てくるのは、10世紀に書かれた「和名類聚抄」で
「穴があり音を出すものである」とあります。これは輪鼓(りゅうご、今のディアボロ)であったのか、
竹製の鳴りごま(ホームページ上の分類、古型鳴りごま)であったのかは、定かではありません。
はじめて 独楽の形がはっきりして表されたのは、12世紀に書かれた「大鏡」で、
10世紀の一条天皇の幼少の時の様子が書かれており、この独楽は明らかに古型鳴りごまで、
これを、後の文献に唐ごまと呼んだので、これを結びつけて、唐(中国)からやって来たというのが定説になっている。
また、もっと以前の文献、「日本書紀」に「高麗の兵が「楽」に興じた。」とあり、この「楽」を独楽と決めつけた学者先生が
「高麗(今の朝鮮半島)から来た。」というのも定説になっている。
エーーーー?、「高麗から渡来したものは何でもこまなの?」
「定説って複数あるの?」 「証明されてないから定説というんじゃないの?」
こんな疑問があるのに、その後の出版者達の多くは、疑問に触れないで、どちらかの、或いは両方の定説を書き、
これらを読んだ次の著者達は、又、それをそのままにして出版を繰り返しています。
(八木田宜子氏等、数人は疑問を発している)
どんぐりに、つまようじを刺せばこまになるし、前の章に書いた、誰でも考えつく、たたきごまは
世界中で自然発生的にあります。
どんぐりこまやたたきごまはこまじゃないの ?
日本人だけが馬鹿で,考え出すことができなっかたの ?
そんなことことはない筈です。
おっちゃんは、人の生活が始まった時から、自然物で道具やおもちゃを作り出したのだと思います。
文献はその時代に、その独楽はあったと、解釈すものだと思います。くわしくは書けませんでしたが、
こまは「日本人も考え出していた」ということを、。定説にしたいと思います。が、
みんなもいっしょに考えてみてください
投げごまは、まわす人の年令や技によって、木製や缶ごまや、鋳物製などいろんな種類がありますが
多くの技ができて、回転力があるのは、なんといっても鉄輪ごまでしょう。
(長時間まわるかどうかは別問題ですが)
技によっては「鉄輪ごまでなくては」という人も多いと思います。
ところで皆さんは、鉄輪のこまの表面にいろんなマーク(刻印)が数個、あるのに気がついているとおもいますが、
それがどんな法則でついているのか、気になったことはありませんか。
大きさを表すものだとは想像できますが、それ以上のことは知らない人(知る必要もないのですが)も
多いと思いますので、おっちゃんの知る限りのことを書いてみたいと思います。
刻印がついているのは、帯状のこまだけで(なぜかはわかりません)、鉄輪の幅広のこま(厚輪ごまと呼ばれている)や
鉄輪が分厚い縦長のこま(けしごまと呼ばれている)には刻印がありません。
製造者の目印であることは想像できますが、現在、市販されているのは[三つ輪印]のものだけです。
数年前までは[ひょうたん印][こめ印]のがありましたが、現在は製造をやめています。
おっちゃんの博物館には桜や丸金のマークがついた古い時代のもがあります。
現在、市販されている鉄輪ごまの刻印の数は2ヶまたは3ヶのこまだけです。
[二ツ目]、[三ツ目]と呼ばれています。
おっちゃんの博物館には四ツ目、六ツ目、八ツ目の鉄輪こまがあります。
製造者の古老に聞いたことがあるのですが、基本となる大きさは1寸1分(約3.3センチ)で、
半径で1分(約0.3センチ)大きくなるごとに、刻印が一つ増えるということです
みんなが遊んでいる普通のこま、投げごまは江戸は元禄時代までありませんでした。
それまでは地面でまわるこまでした。
元禄13年の頃、上面が平たく、鉄の心棒が上下につらぬき、ロクロにかけられた、
中の字型の足長ごま(基本的に現在と同じ形)が、九州は博多地方で考え出されました。
この形を総称して博多ごまと呼ばれるようになった所以(ゆえん)です。
でも、現在では一般にはそうは呼ばれていません。専門家の分類上の呼称として残っているだけです
また、福岡県無形文化財、「筑前博多独楽」は流派の名称です。
そのために、今までに比べて長時間、手に乗ってまわるようになり、それを見た人々はびっくりしました。
そこで街角で人々を集め、歯磨きなどを売る、客寄せの手段として使われました。
当時は、これが曲芸で、刀や扇子の上でまわすのは、もう少し後の話です。
当初は大変高価で、庶民のそれもこどもの手に渡るのは無理でしたが、徐々に浸透していき、
爆発的に流行しました。やはり、技ものは誰もが挑戦したくなり、
手本になるヒーローがいれば、人気が出るのは今も同じですね。
そして、この足長ごまは、おっちゃんの知る限り、不思議に外国には見当たりません。
投げごまはあるのですが、すべて九州のけんかごまのような、西洋梨の実型で、地面でまわします。
たたきごまの少し進化したところでとまっています。
底部に短く鉄芯がついており、地面でまわすか、けんかごまに使われる程度です。
けんかごまなら、相手のこまを叩き割る「九州けんかごま」でしょう。
韓国に最近ありますが、日本の影響でしょう。心棒が太く、先がとがっていて、手に乗せると痛くて技が限られます。
どうかみなさんも日本が誇る、この投げごまを習得して、外国の人に披露してください。
こまの遊び方の1つに「けんかごま」があります。名前の通り、相手のこまとバトルを
します。寿命を競ったり、ひもであやつって、あいてのこまに当てて倒したり、土俵の外に
出したりします。でも、なんといっても勇ましく、男らしいのは、直接投げつけて、相手を倒
す遊びでしょう。九州のけんかごまは当てるだけでなく、相手のこまを割ってしまう
遊びです。そのため、鉄製の芯棒を鋭くけずって、相手のこまを割りやすく工夫をします。
相手に当てる技術もさることながら、時にはすっぽぬけて、まわりの人に当たって
げがをすることも多くあったようです。
鉄の芯棒も地域によって「けん」「じん」「根(ね)」等と呼び名が違います。
又、「かつお」「よき」「やり(槍)」「ひし(菱)」等多くの種類があり、加治屋さんに行って
作ってもらったものを、コンクリートややすりで削りなおして鋭くします。
こまの形も地域によって特徴があります。(もちろん形にとらわれないでいる作者もいます)
大別すると
福岡系は上部が少しくぼんでいるが、比較的たいらな形(ひらごま型)
大分、佐賀系は福岡系の中央部分に突起がある(へそごま)
長崎系は上部が丸い型(ぼうず)
熊本系は上部がとんがっている(とんぼ、かぶと)などで、
その他は作者が少しずつ形を変えて製作していました。
最近は大人たちから「危険な遊び」と云われ、だんだんすたれて、作る人が少なくなり
1ヶ所で他の地方のこまも作って全国に提供しています。現在では熊本、佐世保、唐津、
八女、宇目等数ヶ所の地方で観光客目当ての民芸品として作られています。
九州けんかごまのことを書けば、本数冊にもなるので次回にまわしたいと思います。
外国の投げごまも基本的には、同じまわしかたですが、九州のけんかごまのような
相手のこまを割る程の芯棒はついていません
写真を見たい人はこちら(独楽の百科事典・けんかごまの項)へ
7.苫小牧市の市章2005. 8/30UP
北海道 苫小牧市の市章は「こま」をデザイン化していたことを知りませんでした
市章・市旗
2年連続夏の甲子園大会に優勝した、苫小牧市の市章は昭和24年8月22日に制定され、市旗は昭和43年7月26日に定められました。市章は、苫小牧を片仮名のトマコマイとして「ト」と「マ」を周囲にとり、「コマ」は全体を通じて独楽(こま)を図案化し、「ト」の字を「イ」とも読ませ、市名に通じさせています。市旗は紺色の地に市章を赤で組み込み、市章の周囲は白色で縁取りされています。紺色は大洋を、赤色は躍進への不屈のエネルギー、白色は平和と清純を表しています(苫小牧市史より)
8.やはり博多独楽以前にけんかごまはありました 2006. 9/ UP
福岡県 大野城市 御笠遺跡から「こまが発掘された」とニュースを聞いて、早速出向いて学芸員の方とお話してきました。元禄時代に、現在、みんなが遊んでいる投げごま(博多独楽 5.投げごまの歴史で紹介)が出現する前に文献には出てこない、 「その原型の投げごまが、日本にも必ず存在していた」との仮説を立てて探していました。出土した村落(山田)の歴史的なことの説明は省かせていただきますが、明らかにこの遺跡が、鎌倉時代から江戸の初期まで存在していた村落であることが発掘調査で証明されています。こまの形は両側が尖っているけんかごま(両ごま)で片方に芯を差したと思われる穴があいています。位置的にも博多(福岡市)の隣町です。この種のこまは日本各地に存在しています。おそらく小刀や鎌などで手作りでも作れる種類であり、たたきごまのつぎの段階なので、自然発生的に各地で考え出されたと思います。もう少し各地の出土品を調べて証明したいと思います。 写真は後日UPします